大峰山や熊野本宮で奥駈修行の道中に75靡(なびき)と呼ばれる霊場を巡り、碑伝(ひで)というお札を納め修行していきます。私達は、逆峰の75靡?から1靡に向かって吉野山から行をして行きました。

令和7年13日~21日で100キロはなかった様に思います。(たぶん)行程は、吉野山~山上ヶ岳~弥山~前鬼=玉置山~熊野本宮=熊野三山と進んで行きました。基本起床は3時起き4時出発。早い日で2時起床、3時出発。ライトを照らしながらの行でした。ほぼ毎日雨でカッパや笠を付けていても、ずぶ濡れでしたが意外と涼しく過ごせました。かえって、晴天より夏は雨の方が進みやすいかも知れませんが、足元が滑りやすく、崖崩れやまた、川が増水したりと色々問題もありますが、何とか行をする仲間とともに乗り越えて満行しました。最終日前日には、右足小指にマメが出来て地下足袋が赤く染まりましたが、何とか乗り切れました。かと思うと、今度は左脚が痺れが襲い、杖に体重を掛ける等して、残り数十キロを誤魔化しながら熊野三山までお参り出来ました。
吉野山は、比叡山とならび千日回峰行の行のお山。当然万が一死ぬ事があるかも知れない。それなりに覚悟はあったつもりでしたが、行をしながらまだまだ覚悟が出来ていなかったと猛省しております。過去に転落したり骨を折ったりしている行者さんも当然おりますので、慣れている方でも危険なんです。ベテラン行者さん(お寺から配役を貰っている薬事奉行)がお医者さんでいらしたので薬を貰ったり歩き方のアドバイスを貰ったりしました。もう一人の薬事奉行さんは、理系の方で元幹部自衛官、退官され救急救命など出来る方に、脚の痛い時など塗り薬をもらったりして皆様に助けて頂き心から感謝の気持ちです。
たぶん10年以上前に一度、大峯山寺の蓮華奉献修行に参加した時に丁度、大峯山寺の回峰行者(100日?1000日?どちらかな?)と行中にすれ違っていたらしく(行中の仲間に教えて貰う。足元を見ていたのかも・・)ときめいたのを思い出されます。
行中は、外界から情報など遮断して修行に専念しなければなりませんから当然写真は有りませんが、修行前の写真と修行終わりの時にボランティアの方が撮って頂いたものをアップします。
修行前の金峯山寺・蔵王堂

後醍醐天皇導きの稲荷1

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吉水神社(世界遺産)1

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5「2礼 17柏手 1拝」は、17神おられるので17柏手だそうです。

蔵王堂付近からの風景

仁王門は工事中でした。

行を修めて蔵王堂に帰りご報告と勤行1

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奈良県吉野町にある金峯山寺は、修験道の開祖・役行者が修行した地です。小生の師僧で亡くなられた猿渡管長猊下から聞いた話として、役行者さまの1300年祭に金峯山寺の東南院さんに招かれてヘリコプターで上げて貰ったとの話でした。猊下から聞いた秘話を少しだけお教えしましょう。山に登り行の世界に身を置いて生涯全うされた方ですから、不思議ではないのですが、箕面山で役行者は行をされていたと感じ取られてそうで、翌朝、滝場に行かれたが、水は落ちていたが、観光地化され面影はなかったと。つぶやかれていました。別格本山のお寺の子とし生まれ、世話役に行者さんがおり、赤子の頃から滝行をされ神仏に導かれながら山などを行として歩かれてきている方でした。人を導く才能は宗教史に名を遺す程の方だったと、ふと思い出す時があります。行に関しては、猊下の言われた事やされていた事を思い出しなが自分に合わせて行を修めているところです。金峯山寺・千日回峰行者の柳澤眞悟 大阿闍梨猊下は、何百日か忘れましたが、数百日過ぎには、変化があると言っていたのを何かで見て、愚生は現在、千日の滝行の700日少し前まで来ています。500日を過ぎた頃から変化を感じて、どうしたものかと思い、管長の御傍にいた本山住職に電話で聞いてみると、行をしていれば色々起こるよ・・・。などアドバイスを貰い自分なりに工夫をして乗り越えて今に至ります。来年の七夕の終わる月には順当に行けば満行になります。現在は1回の滝行では状況によりますが、基本的に1時間は滝に入る様にしています。
満行したら行の世界に足を一歩位踏み入れられたかな。位の行でしかないと。行をちょっとだけ齧りました。という事が言えるかな、ぐらいにしか考えていません。自利利他は、自ら行を修めて行き皆さんの背中を押すのが、佛の世界に身を置いて、仕える私の生き方かなと自問自答しています。
話はこれぐらいに。では。
大慈大悲 合掌
役僧 星野 研至






