伊勢前峯千日瀧行百日を切りました(役僧 星野研至の師僧である故・猿渡管長の思い出話を通して2)
伊勢前峯千日瀧行・大満行迄100日を切りました。ご報告(役僧 星野研至の師僧である故・猿渡管長の思い出話を通して2) 満月の頃1 満月の頃2(千日瀧行中) 現在、進行中の瀧行は100日を切り、気を引き締めて、一歩一歩着実に進めていきたいと思います。 小生の僧名「研至」は小学生の頃、猿渡管長につけて頂きました。名は体を表すと言う通り、人生の終着点に向けて今後とも研鑚して行きたいと思います。(宗教法人でもあるお寺に身を置く事は、宗教的能力の向上無くして、存在価値があると言えるのであろうか?と考える事がある訳です。その様な認識が多くの人から忘れらている。即ち、宗教施設・宗教者として認識されていないのではないか、と思う時があります。現代日本の良いところでもあり、悪いところでもある様に思います。) 故・猿渡管長による大分県にある本山のお地蔵さんの供養をされている様子。(円熟期頃の写真) 「実は、林業で成功された方と偶然出会って、お寺が好きになり全額負担の上、建立して下さった経緯があります。有難い事ですよね。これって、(法輪転ずれば食輪転ず:端的に言えば、一生懸命していれば自ずと生活の糧が得られると言うのが分かりやすいかなと。)思ったりもします。あやかりたいですね。」 小生の師僧で、故・猿渡管長は、つららが垂れ下がる瀧に入られる時は1時間半ぐらい入っていたそうです。「実は浄土真宗・別格本山の御子息としてお生まれになられました。人となりが分かる昔ばなしですが。少年の頃、寺の年寄りから南無阿弥陀仏と称えて、救われん者は縁を切れと、言い換えれば縁なき衆生として扱え、と言われ(それはおかしいんじゃないですか?と、宗教家というのは、どれだけ騙されても、黙って助けるべきじゃないですか?)と、口答えをした事があるそうです。それが原因で勘当された事もあったそうです。」 管長は、幼少の頃から瀧行をされていたそうです。幼少の頃より子守り役として英彦山修験の行者の方がいらっしゃいました。(筆者の思い出せる範囲で端的に言いますと、実は、行者さんの夢枕に、この子をみる様にと佛さんが立たれた事により、この子を探して出して漸くお寺に辿り着かれ、行者さんとの生活がはじまりました。)子守り役として一緒に生活をされ、お育ちになりました。幼少の頃は、行者さんに抱きかかえられながら瀧に入っていました。神仏に導かれ、幼少の頃より行をし続けて、更に青年期より、三十三年間行をされ続けた後に、漸く紫の法衣に袖を通される事になったそうです。生涯をかけて多くの人達を導くために東奔西走されました。 晩年に聞いた話しですが、瀧に打たれる事で体力が消耗します。行があけたら、鯉や鰻を食べて精進落しをされていたそうです。坊さんの修行の世界では、川魚は自由であると、法事ごとも法要が終わった後、川魚を食べる様にされていたそうです。 また、観音さんの眷属は、竜神さんです。観音さんに祈り願う事は、竜神さんにもお願いしなければならない事になりますね、と。竜神さんの供養の為に差し上げるのは、伊勢エビが代表的ですがまた蟹もだそうです。 以下の秘話は、故・管長が感得された話しなのですが、麗江市(中国・れいこうし)の旅(りゅう神の巣窟のある麗江の池でガボガボと水の湧き出ている上の蒸気の中に「龍」がおり、その下の水の中に「竜」が存在すると。)での話です。中国の場合、尻尾に長い毛の生えた亀がいます。この亀を模したのが「竜」で、水の中に存在しています。 また、「龍」の場合は、水面の上に月がたつ(立+月)左辺ですね。その水の上に立ち、水蒸気は天に昇って雲になる。雲の中に存在するのが龍だと。。 また、長野の善光寺の阿弥陀さんは、海から拾われたもので、浅草の観音さんは、隅田川で拾われたものとされています。曰く因縁のある仏像の多くは、海とか川とか水の中から拾われたりしています。それに(せいすい)の名前のつく所や寺には、殆ど観音さんが祀られています。故・管長は、若い頃琵琶湖周辺の十一面観音を探し訪ね廻った事があり、夥しい数の観音さんが水の傍らに祀られていて実感をしたそうです。 また、宗教の世界では、二月は大事で、そして寒の行として重要視されていますと。この月の行場では、修行に負けて倒れる人を見られてきたそうです。白装束で入って行く事は死も覚悟してる訳ですね。二月は、水が最も崇められる時期(東大寺のお水取り等)でもあり、つららが下がっていたりする瀧に入る方が、身が引きしまっていいと仰っています。 長い間の日本人の生活の知恵の中からも、二月の水が一番霊験あらたかとされて来ているそうです。昔の年寄りから、一月は「いってしまう。」二月は「にげてしまう。」三月は「さってしまう。」ぼやぼやしていると、一年を棒に振るぞとたしなめられた事があったそうです。二月は逃げてしまう事で、自分の汚れが二月の厳しい水に打たれて逃がしてしまう。その為、故・管長の考えとして「二月の星祭り」をするのは、一年間の禍を消して、新しく迎える一年を息災無難に過ごせる様に祈念するものと話されていました。 太江寺でも「星祭り」を毎年しております。星祭りの護符なども授与しておりますので、ご希望の方は、太江寺までご連絡下さい。(今年の授与は終わりました。) 満行の暁にはご報告させて頂きます。 合掌 大慈大悲 修行長 星野 研至 Languageこのページは自動的に翻訳されました。元の内容と異なる場合がありますので、ご注意ください。






